物語

君が壊れるその前に (月曜が来てほしくない人向けに書いた物語)

月曜が来てほしくない人に向けた物語です!

 

 

「あーあ、もう今日が終わるんだ」

八月も終わりに近付き、秋に差し掛かっていた。
夕暮れが燃えて、建物に斜光が差し込む。

熱せられた空気が立ち上り、蜃気楼の前駆現象のようにゆらゆらと遠くが揺らいで見えた。
このマンションから見える景色は、いつだって叙情的な気持ちにさせられる。

「明日もまた同じ日常が繰り返されるのかぁ。なんだかさ、RPGゲームみたいだよね?経験値を稼ぐために、ダンジョンに出てモンスターを倒す。レベルを上げたいからたくさん倒すけれど、その主人公たちは、モンスターを倒す意味なんて考えもしないんだ。」

彼は、ゆっくりと彼女の言葉に耳を傾けている。
けれど、何も言わなかった。

「私も同じだよ。だって、会社でやってる仕事、意味ないもん。」

上司の機嫌をとるためだけに笑顔でいて、たくさんの人が寝ている意味があるかわからない会議のための資料を何十枚もコピーする。
だけど、その会議が終わった瞬間には、ゴミ箱がその資料で一杯になった。
私が作ったゴミの束を私がまとめて捨てに行く。

「ああ、吉田くん。ゴミの方だけど、あっちも頼むよ。そのあと、例の文献のデータだけど、エクセルにまとめておいてくれないか?必要になるかはわからないけれど、一応社内データだから記録は取っておかないといけない。」

「はいっ。わかりました。まとめておきますね」

小さく小声で呟いた。
「どうせ、誰も読まないのに、どうしてデータを取っておくの?なーんて」

今日も変わらない日常。
何を頑張っても、頑張らなくても、手応えがない日々。
そりゃ、そうだ。
だって、私の一週間の大半が仕事で埋まっていて、その仕事というのが、きっと、意味がないことで大半を占めているから。
拡張して考えれば、私は意味のないことをしてお金をもらって、なんとか来月を食いつないでいるだけだ。

週末の休みは、ごく稀に彼と会っても疲れてしまっていて、彼の家でゆっくりしてしまう。
気づいた時には、夕方になっていて、いつも、この窓から見下ろす景色が胸を打つ。

誰にも成れない私が、窓に映っていた。

『こんなはずじゃなかったのになぁ』

と、言いかけて、私は今、人と会っているのに、何を言っているんだ、と我にかえる。

「ごめんね?気にしないで大丈夫だよ。まあ、社会人あるあるだから!」

会社では得意の笑顔で、はっきりと話した。
彼は、困ったような、心配するような顔で彼女を覗き込んでいた。

 

秋が来た。

宇宙から見た地球は、とても青く、私は胸を締め付けられる。
宇宙から、拡大していくと大陸が見えてきて、もっと地球に近づいて観覧車くらいまでの高さに近づけば、人がたくさん歩いているのが見える。
空から見ると、人は小さくて、人形のように操られて動いているように見えた。

秋風に吹き飛ばされないように、私は、手をしっかりと握りしめて歩く。
どこにも飛ばされてしまわないように。

変わり映えしない日常だけがそこにあった。
ただただ雄大に横たわる、何も変わらない世界。

時は巡り、秋空の下、木々の葉は黄色や紅に燃えて、世界を彩る。
夜になると、空が澄んで、燦然と輝く月明かりの下、人の影が差す。
事物の陰影がくっきりとして、私は見透かされてしまいそうで、この季節の美しさが怖かった。
透明な空気の伝える小さな変化や、移ろいゆく空の綺麗にグラデーションしていく様子が、私を責める。

恋人たちが手を繋いで私の目の前を通り過ぎていった。

「クリスマスはどうする?どっか行きたいよね!」

色彩のない私の世界を、多くの声が押し潰して踏みつけていく。

「吉田くん、ゴミを頼めないか?あと、お茶も頼むよ」

「今日は夜9時まで会議がある。君も出席してくれないか?いや、難しいことを頼むわけではない。発表者が変わるタイミングで資料を配って欲しいんだ。あと、パワーポイントとパソコンでの発表の設定とかも頼むよ。」

それでも世界は廻って、廻って。

退社後、夜も10時を回っていた。
こんなにたくさんの人はどこに行くのだろう?
これから、皆暖かい家に帰るのだろうか?
人の波が、大きな川の流れのように見えた。
眼を細めると、ビルのネオンや、信号の色がちらちらと輝いて、人の原形が崩れて、宇宙の中に点在する星の中を行き来する何かの流れのように見える。

大きな交差点で、それをやると、光より人が多くて、何かがずっと流れている。
私も、その流れの一人だったのだけど、その日は何か意味を見出したかった。

どうしても、悲しいような、諦めのような、言葉に表すことができない気持ちを抱いたまま、人ごみの中でうずくまってしまい、彼に連絡をした。

彼は飛んできたけど、私は彼の顔を見ることも出来ず、うずくまっていた。

彼は、彼女の手を掴んで人が少ない小さな公園に連れて行くと、暖かいお茶を手渡してくれた。

「ありがとう。ごめんね?こんな時間なのに無理やり呼び出して」

彼は手を振って、そんなことはない、という意思を表した。
困ったように笑っていた。

咄嗟に、さっきの壊れそうな感情の奔流が襲ってくる。

「バカ!!なんで、何も言ってくれないの!!!!バカバカ!!!」

普段怒らない私が、彼の胸あたりをどんどんと両手で叩きながら、嗚咽を流していた。
まるで子供みたいだ、と冷静な部分の私が思ったけれど、感情の激流が流れては落ちて伝い、とめどなく溢れてしまう。
目眩く季節のように、流れては、ほおを伝って、行き場のない私のコトバ。

ひどいことをしている、と思う。
謝らなきゃ、と思う。

けれど堰きとめることができない何かに、心が塗り潰されて、何も悪くない彼をガンガンと叩いてしまう。
彼はいつでも静かで、透明だったから、手応えもない空気をぽこぽこ殴っているような感覚に捉われた。

「なんか言えよぅ。。。うう、、、」

ひどいことを言ってしまった、とハッと彼を見上げた。
めそめそ泣きじゃくる私に彼は、天に腕を上げて空を指差した。
そして、その後、私を指差した。

「・・・なに?」

彼は、はにかみながら天に向けてゆっくり指を指す。
目線を追ってみても、そこにあるのは、大きな無邪気な満月だけだ。
そして、彼は、すぐに彼女を指差しすのだ。

「私が月ってこと?」

彼は、微笑みながら頷いた。

 

帰りの電車で、冷えたお茶を飲みながら窓に映る月を見ていた。
泣いたことで、少し冷静になった私がいた。
よく考えてみるけれど彼の表現したことが、私にはわからなかった。

けれど、私はあのお月様なんだって彼は伝えてくれた。
その意味が私にはわからないし、きっとこれからわかることはないだろう。

何故だか、それだけで明日頑張れる気がした。

風が吹いている。

世界が優しく色づいていた。