街や施設の風景・歴史

東京タワー60周年記念・オレンジイルミネーションと周辺風景の観察

たぬしですー。

「東京タワー」
その言葉は、東京に住むものにとって、否ッ!東京近県に住む者にとって甘美な響きに満ちております。(一部のものにとってであります)

その一例としまして、かつて茨城で工場バイトの最中、非常にお世話になりましたおっさんの言葉を借りるとしましょう。

「おめえさ、国どこだっぺ?えっ?東京ッ??
東京といえば、東京タワーだっぺ~おめぇ。
俺もわけえ頃はよ?ヨコハマさ行ってよぉぅ、車でぶちかましでよぉッ。↑
わけもなく東京走ってタワーを見上げたりしたっぺなぁ。おめぇ。
助手席にはよぅ、おなごさ乗せてよぅっ!
俺にもそんなじでぃがあったのよぅ、バカやろ!
何いわせっぺぇぇ!
ほなら、あれか?↑
おめえさ、まだわけえからよ~スカイツリーだっぺ!
でも、ありゃ、とんと話聞かねーなぁ↓
やっぱ、俺らの時代っちゃ、東京タワーだぁっぺぇッッ、おめぇ。
おめぇ、あれだろ?あれ、助手席に向かって、おめぇさ、今日はタワーみてぇにあけーなぁとか言ってよぅッ!」

注釈
国:出身地を意味します
じでぃ:時代のことと思われます。

かつて、力説されたことを思い出しつつも、60周年記念で何らかのイベントをやっているという東京タワーに行ってみようと思います(行ったのはクリスマス)。

 

浜松町から東京タワーへ

909年12月16日に旅客鉄道として開通した駅。1964年には東京モノレールの浜松町駅が開業したようです。
2017年度の乗降者数は158368人で17位。

割とこじんまりした駅で、昔はよくホームレス的なおっさんが駅構内におりました。
中学か高校生の時ですが、ホームレス的なおっさんと仲良くなったことがありましたのを、ふと思い出しました。
しかし、最初からすぐ仲良くなれたわけではなかったのであります。

月曜や水曜になると、電車の荷台や、駅のゴミ箱(雑誌・新聞紙)に、よくその週発売のジャンプやマガジンがほぼ新品のまま捨ててあったものです。
小遣いも少なかった僕は、ジャンプやマガジン代をケチろうと、よく雑誌を売っている荷台屋を探したり、ごみ箱の雑誌捨て部分を覗いたりしておりました。
その日は、偶然にもジャンプかマガジンが埋もれた雑誌の上の方にありましたので、僕が手に取ったところ、ぬーっと横からおっさんが現れました。
「それは、俺のもんや。欲しいなら200円払えや」

「え!?ナンダッテー!!?」
当時はジャンプは250円位だったので、そんな新品に近い値段を払えるか!と思うと同時に、今見つけたのは僕なのだけど?と疑問に思った次第であります。
さらには、ところであなたは誰なんや!!と思ったり。
「おっちゃん、誰なのん?このごみ箱を管理でもしてるの?」
と、彼の風貌をみやると、そんな感じではなかったのであります。
破れたズボンに、浅黒い顔、洗ってないであろう髪の毛。

「俺は、毎週巡って雑誌を売ってるんや。このゴミ箱は、今俺が見ようと思ってたんや。俺のゴミ箱やから、それ欲しいなら200円払えや。」

そう。かつて、よく駅前に雑誌を安売りしてる謎の屋台のような店が至る駅前にあったのです。
おそらく、そういうようなことをやっていた方で、僕はすぐに思い至りましたが、確か当時の値段で、価格が100円でした。
「さすがに、200は取りすぎでしょう!!しかも、おっさんより早く見つけたん!!さすがに高すぎる!それは酷い!!!」

当時は、学生服で、明らかにこちらが学生だとわかっていたはずなので、おっさんも少し怒気をひそめ始めたようでした。

「確かに、少し言い過ぎたかもしれん。。しょうがない。今回は、あんたに譲るわ。」
とか、言って踵を返し始めていた。話し合いから10分が経とうとしていた。
おっさんの哀愁度合いが凄まじく、ズボンが破れてヨレヨレになっていたこともあり、
「おっさん、、、悪かったわ。商売道具なんでしょ?150円で頼みます」
と手渡した。

おっさんは、いたく驚いた顔をしていたけれど、
「今度会ったら、いい探し場教えるわ」
と、したり顔。
そこには、駅を生業とする人間のある種の真面目さがあった。
おっさんもまた、駅に生きる人間だったのです。
おっさんは、次の駅でも雑誌を探すという事で新橋方面に向かう山手線に乗り込んでいきました。

そんなハートフルラブコメディーがあってから、確か2年くらいは、おっさんと交流してた気がします。

エルブライト前

やたら壮大な光を放ち、クリスマス然として輝きを放っていた駅近くの建物。
何の建物かと思ったら、少人数貸切の結婚式場のようです。
株式会社サンセルモという所の運営らしく、この会社は昭和48年設立。
けれど、この建物がいつから立っているのかは不明でした。

さて、閑話休題ですが、現代において結婚は、社会の動きとミスマッチな制度になってしまいましたね〜
国家としては、人手不足を解消するために、我々国民総員を以って働いてほしい。
即ち、1980年以前まであまり労働力として主ではなかった女性にも働いてほしいと望んでおるわけです。
けれど、女性は結婚して子供を産んだら、その間は基本的に働くことは出来ません。
子育てという点でも、夫婦のうちどちらかが、時間を子育てに使わないと生活は成り立ちません。
これは、生物学的なことなので、この点は変化させることが出来ない。
どんな屈強な女性だって、子供を産むときは休むしかない。

ということは、社会の方が制度を変えて、対応を計るしかないのだけれど、現在では制度改革が追いついていないのです。

故に、如何に国が国民総活躍をうたったとしても、生物学的問題に遮られます。
その結果、そこから派生した歪が、どこかに生じるわけです。

歪が大きくなればなるほど、結婚しても、子供は無理かなー、、、とか、そもそも、結婚はいいや~ということになりましょう。

そんなことをつらつらと考えさせられる、洋館であります。

関連記事:日本の人口【1】データから見る人口推移と男女比率。推定される生まれる子供の人数の予想

浜松町駅北口の連絡橋

浜松町から出てすぐ左の貿易センタービルから取った東京タワーです。

すでに、不夜城感が出ております。
割と人っ子一人いない、虚無の空間が広がっています。

貿易センタービル界隈

貿易センタービルから見えるビルが、ツリー型に光っていた。
これは偶然に見つけたのだけど、本当にツリーなのであろうか?
それとも、偶然もみの木のように見えるのか、、、。
浜松町の謎は深いッ。

浜松町北口を出て、目の前にあるのが、滅茶苦茶高い建物世界貿易センタービルであります。
1970年3月に完成し、高さは152mで40階建てであります。
1971年6月に京王プラザホテル(西新宿・169m)が出来るまで、日本一の高さを誇っていたようです。
何をやっているのか、不明な建物でありましたが、貸会議室、ブライダルサロン、医者、展示場、物販、ご飯屋などが複合的に集まっているようです。
2階とか、3階とかは行ったことありますが、上の方に何があるのか、全然知らないなぁ、、、と思いました。

また、2021年度に都市の再開発に伴い、解体予定らしいです。
な、なんだってー!
こんなでかいビルも解体されることがあるのですね。。。
街の風景もころころ変わるわけであります。
ここらのオフィス街って、割と頻繁に店が変わってるイメージがありますので、景観自体が人に喚起させる哀愁のようなものが深そうであります。

クレアタワー

人数も少なく、綺麗なエレベーター。
まだ竣工間近なのかと調べてみますと、2018年8月31日に完成したばかりでした。
妙に、整然としており、結構良い眺めです。
2019年1月29日付近で、コンビニやご飯屋などのお店が随時開業予定のようです。
調べてみると、朝日放送東京支社がこの建物に入っているようです。

貿易センタービルと並べて撮ってみてもかなり、高い建物であることが伺えます。もうすぐ、貿易センタービルが解体となりますので、クレアタワーの方が、浜松町駅前高層ビルのシンボルになるのでしょうか。
街も変われば、人も変わる。
なかなかどうして感慨深いものであります。

芝大門前

こちらは、いつ見ても変わらぬみんな大好き(かどうかは不明な)芝大門。
増上寺への入り口です。

増上寺前

浄土宗の大本山である増上寺。
総本山は、京都の有名観光地である、知恩院であります。

1598年に、徳川家康によって現在の場所に移転されたようです。

この由緒ある増上寺の脇道を進んでいきますと、ラスボス感を呈した東京タワーの姿が現れます。

東京タワーのオレンジイルミネーション

程なくして、東京タワーが現れました。
真下から見ると、なかなかに壮観であります。

東京タワーの目の前にあるWAKANUIはニュージーランドのお肉を中心に扱うよさげなご飯屋さんも、クリスマスイルミネートしておりました。
行ったことはないですが、立地勝ちしている時点で、うまいんだろうなぁーと思わざるを得ない。
ここいらは土地代が非常に高いので、その分値段が上乗せされますし、実際のご飯だけの価格より、お値段が高くならざるを得ません。
そうなると、値段の割にはあまり・・・現象が生じてしまって、人が離れていくパターンもあるかと思いますが、その中で生き残っているということは、良いお店なのでしょう。いつかは行ってみたいものです。

さて、東京タワーの敷地に入りますと、どうやら真ん中に大きなツリーが一本すっくと立っております。

囲まれた空間に、多くの電灯がともっております。
人々の感情の揺らぎが、顕れているようです。
中には、団体で半袖のような人々もおりまして、はしゃいでいる感じが伝わります。

中へ進むと、身に東京タワーが鎮座しておりました。
その周りで、自撮り棒を使って自分たちをとりまくる人々、兎に角写真撮影の嵐が吹き荒れており、最早よくわからない場所と化しておりました。

東京タワーの小さな模造。

東京タワー60周年記念公園のロゴ。
おめでたい話ですね。
1958年(昭和33年)に開業し、2018年12月23日にちょうど60周年を迎えました。
当時の設計は、内藤多仲を主設計とし、構造解析を手計算で行っていたようで、凄まじさを感じます。
その設計は、現在パソコンで数値計算により求めた結果と良い精度で合っているといいますから、当時の技術力の高さがうかがえます。

この流麗な対称形の構造は、構造物としての安定性を求めた結果、数式から必然的に導かれた形らしく、その流線形に淡く光るオレンジの灯を伴って、美しさに輪をかけております。
設計を終えた内藤は「どうかね、こんなに素晴らしい眺めはない」と述懐していたようですが、まさしくその通りであります。
60年たった今も尚、これだけ多くの人々が存在することで、そのシンボリックな風貌の美しさが例証されております。

小さな小道に、Alleyがあります。
小道、などという意味でしょうが、人生の小道に入ってしまった僕としては、この緩やかな傾斜のついたAlleyは、まさに人生の道程に見えて仕方がありません。

これからの日本を暗示するかのような、光の明滅。
ぶら下がる電灯は、果たして希望か、絶望か。

60周年記念砂のキャンバス。
色のついた砂のようなものが敷き詰められ、造形を成しています。
吹けば飛んでしまうが、手の込んだ一品です。

 

オレンジイルミネーションの開催期間

●開催期間:2018年11月2日(金)~2019年2月28日(木)
●点灯時間:16:00~23:00(~11月30日)、12:00~23:00(12月1日以降)
●開催場所:1階正面玄関前広場
●期間中の毎日 16:00~22:00 の毎時00 分と 30 分に
 「ロクゼロガーデン・ライティングショー」を実施します。(最終回22:00~)
 冬をイメージさせる楽曲にあわせ、鮮やかな光が織りなす1 回あたり約 10 分間のライティングショーです。

150m展望デッキからの眺め

その日は、250m展望台は工事中か何かで行けなかったので、真ん中あたりの150mからの眺めです。
こうしてみると、夜景は綺麗なのですが、怖いですね~。
先の、東北震災にて高層階で強震を体感した僕としては、高層階の恐怖が抜けないのです。
長周期振動でビルが破壊したらどうしよう~とか思ってしまって落ち着けません。

ヨコハマの方なのでしょうか?
ベイブリッジのようなものが見えます。
割と遠くまで見えるんだなー、という感じ。

ぶれない写真を撮るのってかなり難易度が高い。
上手い写真を載せている人は凄いです。

真下を撮影したけれど、、怖いですね!!
落ちたら爆散四散します。

近未来感あふれる写真。
社会変化が激しいこの現在、果たして、どのような変化が生まれていくのでしょうか?
我々が生きている間に、どれほどの世界変革が見られるのか、非常に興味深いものです。
世界の大きな変化の部分集合として自己がある、という視点になれます。

デッキ内には、地面を透明な材質の物で作っている部分があり、底が透けて、真下が見えます。
まるで宙に浮いているかのような感じになるわけであります。

 

まとめ

東京タワー60周年記念オレンジイルミネーションは、規模としては小さいイルミネーションですが、一方で、これまでタワーが果たしてきた役割や、集まる人々の躍動感溢れる感じをみるには良いものです。

イルミネーション単体というのではなく、東京タワーという軸があってからこそ、輝く何かがそこにはあります。

それは、人々の様々な気持ちの残滓のようなものが凝って、何らかの形を成しているのかもしれません。
それほどの歴史的深さを持ち合わせております。

また、その道中には貿易センタービルから芝公園、増上寺などといったものもあり、道すがら丸々楽しめるといった感じです。

街全体としての雰囲気を楽しむといったことも出来る良いイルミでした。