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映画「検察側の罪人」のダラダラとした粗筋とざっくりとした感想

こんにちは、たぬしです。

昨日は、たぬきちゃんが映画を見たいという事で、映画館に行った。

キムタク主演の「検察側の罪人」という映画が最近公開されたらしいが、キムタクの面白い演技が見たくて視聴することにした。

かつて、無限の住人という映画を視聴した時、キムタクがあまりに面白い言動をしていたので、非常なる期待をしたのだ。





重層構造を持ったお話

この話は、検察官の生活を主とした話だけど、様々な関係組織が出てくるので、割と人間が持つ多面的な状態みたいのが描かれている。
組織を覚えてる限り挙げていくと、検察、警察、家族、ヤクザ、飲み屋、政治家、会社の社長?とか。

よく、物語の話を誰かとすると、伏線の回収という言葉が出てくるけど、映画というのは時間の限定が激しいコンテンツなので、もし複雑な世界を描こうとしたら、全ての伏線を回収することは難しい。
故にかどうかわからんけど、男女二人だけの関係性とか、シンプルで最終的にカタルシスを感じさせるようなものが、物語としてよい、という風潮を感じることがある。

けれど、意外と実際の実生活も回収できない物語の連続なのだから、あまりハチャメチャでない限り、伏線の回収できていない物語も意外と良いものになり得るのではないか?って感じる。

さて、キムタクは出来る検察官って感じで出てくるんだけど、最初に出落ちのようなことを言っていた。
氏曰く「自分の描くストーリーに固執して捜査を推し進めると、その検察官は犯罪者になるぜ」とのこと。

新人の二宮くん演じる沖野は、若く、真実に忠実でかつ非常に切れもののように描かれていた。
二年後、キムタクの元で橘と合わせ3人チーム?を組んで一緒に働くこととなる。

彼の持つ、真理に忠実である性向が、キムタク自身が描く正義の在り方とゆくゆく真っ向対立を生じることとなる。

その原因の中心にいたのは、彼の過去を完膚なきまでに破壊した、松倉なる人物の存在であった。
松倉は、時効とはなっていたものの、キムタクの友を殺した殺人者であった。
彼は、再度殺人の疑いをかけられ、キムタクの面前に現れたのだった。

果たして、彼の奇行は検察官の面々を苛立たせるわけだが、キムタクは新人の沖野を彼に向かわせた。

しかして、松倉は一般の人とは感覚を異にする世界の持ち主であり、かつ頭も切れる。
沖野は肉薄するも、一向に犯人である確証を得られぬままおもむろに時間は過ぎていき、ついには、本当の犯人がほぼ確定的な形で現れてしまう。

時を同じくして、沖野と橘はキムタクへの不信を少しずつ深めていくが、二人はチームであるため行動も共にすることが多く、仲を徐々に深めていく。
彼らの二人行動は、僕としては中々楽しめた。
検察という仕事のタフさも見受けられ、果たして事実検察というのはこれほど過酷な仕事なのかと思った。

しかして、転機は訪れる。

沖野と松倉の話し合いのおり、ついに松倉は時効になったあの事件の主犯であることを自白する。
キムタクはそれを隠れて聞いて慟哭し、怒りに打ち震える。

この場面での、松倉と沖野の掛け合いは、この映画の中でも屈指の見所であったかもしれない。
怪物松倉と沖野の刺すような激論であった。

壊れていくキムタク

キムタクの友人には、政治家やら弁護士やらそういう人が多い。
その一人に、丹野なる人物がおり、彼は政治家だが、何かを暴露しようとしたところ、世界から消されそうになっていたそうな。

キムタクは、彼に寄り添い助けようと試みるが、丹野が世界からボコられている最中に自殺してしまう。

そして、丹野はキムタクに彼の命をかけて集めた情報を託すのだった。

また、彼の家族関係も非常に象徴的に描かれる。
嫁とは会話はセンテンスでは続かず、やたらと高級な家の自室にこもって仕事をする。
娘だけは、彼に対してもフェアであったが、なかなか父として居づらい空間であったろう。

一方で、最初の場面でしょっ引かれ、沖野の初相手となっていたヤクザ屋のおっちゃんは中々どうして良い演技をしていたが、彼がいつの間にかキムタクの僕と化していた。
その理由が一見だとよくわからなかったのだけれど、祖父あたりの出自に似たものを感じているということだと思う。(これだけだと弱い気が。)
というのも、彼らの祖父は大平洋戦争時のインパール作戦の生き残りであるとのこと。
史上最悪の作戦と呼ばれたインパール作戦だが、その生き残りの子孫であるキムタクを、根っこのところで信頼したということなのだろうか?
また、キムタクの祖父がこの戦争体験を元にした白骨物語なる書を記したらしく、ヤクザ屋がこの物語を知りたがっていたのも、彼が僕化した理由の一つなのだろうか。

それは差し置き、キムタクの方も、彼を利用して松倉を強引に攻めおとそうとする。
この時、彼はすでに多重構造の中にいて、複雑な負の世界に身を呈し続けていたためか、松倉が犯人でなくとも、どうにか捌きたいと思ってしまう。

そのためだけに、真犯人をおびき出し、殺害し、森の中に埋める。
その際は、ヤクザ屋のおっちゃんに全面的なサポートをしてもらったのだが、その一部を沖野・橘コンビに見られてしまい、バレる。

ついに、キムタクは仲間にさえ追い詰められていくわけである。
特殊な職業上のストレスに加え、様々に絡まりある多重的な責め苦を食らわされ、かつ自己の中に凝った想念が爆発する寸前であった。
しかし、男キムタク・沖野・橘の攻めを軽くかわして、橘を退職に追い込み、さらには沖野も彼の元を去っていった。
なかなかの胆力であろう。

沖野の描く真理の描像が、キムタクの知を超えた瞬間であった。

その後、沖野・橘は共闘し、キムタクの強行に立ち向かう。

正義とは何か?という問いを投げかけるには、より拮抗した善と悪の世界が必要なのでは?

最終的に松倉は、無罪となり、沖野は謝りに行くことに。
その頃には恋仲になっていた橘も付いてきた。
彼は、真理に忠実な人であり、確かに世の中にはそういう人がいる。

松倉は沖野の顔を見て開口一番、キレ狂う。
そして、ステップも軽やかに彼の狂気を発露しまくるわけであるが、ヤクザ屋の一味に車でカチこまれそのままおそらく死去した。

キムタクは、殺しは依頼しないとかほざいていたので、何故こうなったのかわからない。

しかし、結局松倉は死んだのだ。

程なくして、キムタクに丹野からのビデオレターが届き、上述の情報を渡したのであった。
そこに書かれたものは我々に提示されなかったが、どうやらキムタクは怒っていた。(ヤクザ屋が関係していたようなことをキムタクが言ってたような)

けれど、その政治劇の情報は我々視聴者に、具に提示されることはなく終わったのだ。

最後に、キムタクは沖野を呼び出し、互いの正義をぶつけ合う、おそらく名シーン的なところが訪れるわけだが、何故か、丹野の残した情報を見せてあげていた。
その情報を見せつつ、許せるか?的なことを言っていたのだが、松倉を追い詰めたこととその政治劇的な部分がどのように重なり合うのか全くわからなかった。

注意深く見ていれば分かったのかもしれないが、一回見ただけでは、情報が多すぎてわからなかった。

キムタクは人を殺しているわけで、それほどのことをして、尚正義を問うには、過去の絶望だけでは、少し天秤に釣り合わない気がした。
無論、彼にとって非常に重要な人を亡くしたわけであるが、時効を迎えてしまった物語と、提示されていない政治劇では、まだ足りないのだ。

沖野の最後の慟哭が虚しく空を切り、映画は終わる。

感想

現実に於いても、個人は多重的な立場を持っており、そのそれぞれにおいてある種の力が働いている。
上司に怒られたり、家族に励まされたり、先生とケンカしたり、友達と飲みに行ったり、そういった現実世界の様相である。

そして、人一人が持つ全ての側面を、全て知っている誰か、など世界のどこにもいないだろう。

そのような観測しきれない人一人の人生というものが断片的に映画の中に落とし込まれていて、それが線を結んでいなくとも、現実である以上意味を持っている。
故に、映画という限定されたアートの中に、その断片がかけらのように落ちていたとしても、悪くは思わない。

ただ、メインの筋が、沖野との対立で俯瞰する正義の在り方であるとするならば、少し構成を変えても良かったのではないか?と思った。

とはいえ、検察世界の裏側が覗けたようで、個人的には面白かった。
けれど、映画館で見る必要性があるか?と言われるとはてなである。

閑話休題

そういや、無限の住人で見せた、「ウォォイ!」的な叫びもなかったし、これまでと少し違う趣を感じた。周りの役者のレベルも高かったからかもしれない。

ところで、たぬきちゃん曰く、キムタクの足元がほぼ映らなかったらしく、背を高くするようなシークレットブーツ履いてるんじゃね?と思って見ていたそうだ。
背が妙に高かったとのこと。
情報あれば、教えてください。